淀川天神社の基本情報
天神橋筋六丁目駅から徒歩すぐ、大阪市北区の国分寺地区にある神社です。
天照大御神の第2子「天穂日命(あめのほひ)」と学問の神様「菅原道真公」を祀っており、「てんじんしゃ」ではなく「あまつかむのやしろ」と読みます。
このあたりには摂津国国分寺、鶴満寺、南長柄八幡宮などもあり、都市部ながら歴史を感じさせるエリアです。
こじんまりした神社ですが創建は奈良時代の天平10年(738年)で、長い歴史を持つ古社です。
由緒・歴史
天平10年(738年)に行基がこのあたりの開拓した際、開拓の守護神として「天穂日命(あめのほひ)」を祀ったのが当社の起源と言われています。
近くには摂津国国分寺がありその鎮守社として創建したのではと考えられます。
天穂日命は天照大御神の第2子で五穀豊穣をもたらす農業神としてこのあたりの住民の産土神として崇敬されてきました。
天穂日命の子孫に菅原道真がいることから菅原道真公も祀り天満宮となっています。
登記上の正式名称は「天神社」ですが、「てんじんしゃ」とは読まずに「あまつかむのやしろ」と読むのは天穗日命から来ているのではと考えられます。
江戸時代の中頃からは当社の東にある淸源山正德禪寺(正徳寺)が神宮寺として管理していましたが、明治の神仏分離政策により正徳寺から分離しました。
1908年(明治41)年には東梅ヶ枝町(現在の西天満)にあった砂原屋敷に祀られていた稲荷神社を合祀しています。
砂原屋敷は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」の邸宅であったと言われています。
1910年(明治43年)年、中島村(現・東淀川区)の神社から社殿を移築しました。
この社殿は享保年間(1716年 – 1736年)に建立されたもので、大阪大空襲の戦火を逃れ、現在も本殿・幣殿・拝殿が現存しています。
ご祭神
天穂日命(あめのほひ)
菅原道真公
主なご利益
五穀豊穣
合格祈願・学業成就
主な祭礼、行事
日程 | 行事 |
---|---|
7月18日 | 夏祭 |
10月25日 | 秋祭 |
御朱印
あり
行き方・アクセス
電車・バスでの行き方
天神橋筋六丁目駅より徒歩3分
車での行き方・駐車場
境内に駐車スペースがあります。
摂末社
境内に摂末社はありません。