堀川戎神社

堀川戎神社の基本情報

兵庫県西宮市の「西宮えびす」、大阪ミナミの「今宮えびす」と並び、日本3大えびすにも挙げられることも多い由緒ある神社です。

ミナミの今宮えびすに対してキタのえべっさんとも呼ばれ親しまれています。

意外と境内は小さいですが、1月の十日戎(とおかえびす)では、商売繁盛を願う数十万人の参拝者が訪れておおいに賑わいます。

ちなみに堀川の地名はかつて当社の東を流れていた運河「堀川」からきています。

堀川は現在は埋め立てられ阪神高速12号守口線等の道路となっています。

正式名称堀川神社(ほりかわじんじゃ)
英)Horikawa Shrine
通称堀川戎神社
堀川のえべっさん
キタのえべっさん
所在地〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満5丁目4−17
電話06-6311-8626
参拝時間(開閉門)
社務所・授与所受付時間
公式サイトなどhttp://www.horikawa-ebisu.or.jp/
創建6世紀中頃(欽明天皇の治世)
旧社格村社
系列・信仰えびす信仰
神社めぐり

由緒・歴史

1500年近い歴史を持つ古社です。

欽明天皇の治世(539年~571年)、止美連吉雄(とみのむらじよしお)が、蛭子大神の御神託を受け、堀江の葦が生えている水辺で玉を拾い、これを御霊代とし難波富島(現在の北区中津あたり)に祀ったのが始まりとされています。

古くは瓊見社(たまみのやしろ)、止美社(とみのやしろ)、富社、富島の恵比須などと呼ばれていました。

白雉2年(651年)に少彦名命(淡島明神)、大宝3年(703年)に天太玉命(あめのふとだまのみこと)を配祀しました。

平治元年(1159年)には、平治の乱を避けるため丹波国何鹿郡山家へ遷座しましたが、文和年間(1352~1355年)に現在の地で再興されました。

以来、蛭子社、堀川恵美須社、堀川戎社などと呼ばれ人々の信仰を集めてきました。

明治40年(1907年)には数社を合祀し、堀川神社と改称しました。

ご祭神

主祭神:蛭児大神(蛭子大神) (えびすのおおかみ)
配祀神:少彦名命(すくなひこなのみこと)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)

配祀神である少彦名命と天太玉命が祀られるようになった由緒は、白雉2年(651年)に、当時の神主が少彦名命(淡島明神)の神像を彫刻し納め祀り、大宝3年(703年)、当時の神主が天太玉命を相殿に祀ったと伝えられています。

主なご利益

商売繁盛

主な祭礼、行事

日程行事
1月9、10、11日十日戎宝の市神事
4月20日春大祭
11月20日例祭

御朱印

こちらが堀川戎神社の御朱印です。

七福神の宝船と堀川神社の印が押されています。

御朱印はこちらの社務所でいただけます。

初穂料は300円です。

行き方・アクセス

電車・バスでの行き方

地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」下車1番出口より徒歩3分
JR東西線「大阪天満宮駅」下車 地下鉄1番出口より徒歩3分
JR環状線「天満駅」より徒歩10分

車での行き方・駐車場

駐車場はありませんので、近隣のコインパーキングを利用しましょう。

境内のご紹介

境内は意外と小さく社殿、社務所、摂末社が三方に建つシンプルな感じです。

社殿

三間社入母屋造りの赤塗り拝殿です。

1945年6月の大阪大空襲で焼失し、1963年(昭和38年)に再建されました。

本殿は境内からは見えず、神社の外に出て背後に回ると屋根部分のみ少し見えます。

榎木神社(地車稲荷)

堀川の堀止のそばにあった榎の根本にあった小さな祠が始まり。

堀川戎神社末社の稲生神社も勧請し稲荷神・宇賀御魂神と木の神 句句廼知神を祀ります。

本殿は地車(だんじり)の形をしている珍しい神社で「地車稲荷(だんじりいなり)」と呼ばれています。

ご祭神句句廼知神
宇賀御魂神
主なご利益五穀豊穣
商売繁盛

皇大神・幸神社、大国主・菅原社、松尾・工匠神社

境内の拝殿に向かって右手には7柱を祀る社があります。

左から順に

天照皇大神・猿田彦大神を祀る皇大神・幸神社

大國主大神、菅原大神を祀る大国主・菅原社

松尾大神、工匠祖大神を祀る松尾・工匠神社

少彦名命を祀る淡島神社

となっています。

これらの神社を祀るようになった由緒等は不明ですが、明治時代に近隣の神社を複数合祀しており、それらの神社だと思われます。

福興戎像

拝殿の隣には阪神淡路大震災で破断した表門石造鳥居に彫刻されたえびす像。

ふくこう・ふくおこしえびすとして除災招福の象徴とされています。