お初天神(露天神社)の基本情報
お初天神(露天神社)は、大阪の中心地 梅田・曽根崎の鎮守社として古くからこの地に鎮座している神社です。
お初天神(おはつてんじん)という呼び名が有名ですが正式名称は露天神社(つゆのてんじんしゃ)と言います。
元禄16年(1703年)に当神社の境内で、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が心中する事件がおきました。
この事件を元に描かれた近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」は、当時の人々の間で大評判となり、そのヒロインの名「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになりました。
現在でも恋の成就を願う人々が多く参拝しており、縁結びの神社としても有名です。
正式名称 | 露天神社(つゆのてんじんしゃ) 英)Tsuyuno Tenjinsha |
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通称 | お初天神(おはつてんじん) |
所在地 | 〒530-0057 大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号 |
電話 | 06-6311-0895 |
参拝時間(開閉門) | 6:00~24:00 |
授与所受付時間 | 9:00~18:00 |
公式サイトなど | http://www.tuyutenjin.com/ |
創建 | 不詳 |
旧社格 | 村社 |
系列・信仰 | |
神社めぐり |
由緒・歴史
創建は不詳ですが、はるか昔、大阪湾に浮かぶ小島のひとつであったこの地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったことが始まりとされています。
「住吉須牟地曽根ノ神」の詳細は不明ですが「住吉大社神代記」には住吉大神の子神として記されている神様です。
6世紀の欽明天皇の頃が起源ではないかと言われており1300~1500年ほどの歴史を持つ古社です。
承徳元年(1097年)に描かれた「浪華の古図」には当社が描かれています。
現在の社名「露天神社」の由来は、筑紫へ左遷された菅原道真公がこの地で詠んだ句「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に因るとする説や、梅雨入りの時期に祭礼をすることから「梅雨天神」、梅雨の時期になると清水が湧き溢れる井戸が境内にあるからなど諸説あります。
ご祭神
少名彦大神(すくなひこのおおかみ)
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
主なご利益
縁結び・恋愛成就
病気平癒
商売繁盛
美人祈願
皮膚病治癒
合格祈願・学業成就
五穀豊穣
国家安寧
主な祭礼、行事
日程 | 行事 |
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1月1日 | 初詣 |
2月3日 | 節分祭 |
毎月第1金曜日 | お初天神 蚤の市 |
7月第3金・土曜日 | 例大祭(夏祭) |
御朱印
こちらが露天神社の御朱印です。
初穂料は300円です。
裏面がシールになった貼り付け用の御朱印もいただけます。(初穂料300円)
御朱印帳に直書きでご記帳いただく場合は本社のみですが、シールタイプの場合、水天宮や稲荷社など境社の御朱印もあります。
本社分の御朱印シールは色がピンク、白、黄色の3色展開。
ご祈祷・儀式
各種ご祈祷の受付はお電話または直接社務所にて事前の予約制となっています。
受付は9:00~17:00までです。
ご祈祷の種類 | 受付可否 | 初穂料 |
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お宮まいり | ○ | お問い合わせ |
七五三 | ○ | お問い合わせ |
厄祓い | ○ | お問い合わせ |
車のお祓い | ✕ | お問い合わせ |
神前結婚式 | ○ | お問い合わせ |
上記以外にも家内安全、病気平癒、良縁祈願などご希望に応じたご祈祷を受けられます。
予約時にご希望のご祈祷をお伝えしましょう。
初穂料を事前に知りたい方は予約時に聞いておきましょう。
行き方・アクセス
電車・バスでの行き方
大阪市営地下鉄谷町線 東梅田駅
大阪市営地下鉄御堂筋線・阪急電鉄・阪神電鉄 梅田駅
大阪市営地下鉄四ツ橋線 西梅田駅
JR 大阪駅
JR 東西線 北新地駅
より徒歩5~10分
車での行き方・駐車場
大阪の中心地にあり電車でのアクセスが良いので電車で行かれることをおすすめします。
車で行かれる場合は神社の駐車場はありませんので、近隣のコインパーキングを利用してください。
大阪の中心地ということでコインパーキングの料金もけっこう高いので注意。
境内のご紹介
境内は意外と広く、見どころも多くあります。
入り口
露天神社の入り口は東西南北にひとつずつ計4つあります。
南側にある正門です。
正門だけあって一番立派で、木造の明神鳥居、神門、「露天神社」と書かれた石柱があります。
こちらは北側にある入り口です。
お初天神商店街の突き当りにあります。
こちらは西側の入り口です。曽根崎お初天神通りの交番の隣です。
深夜には門が閉まるようになっています。
こちらが東側の入り口です。
小さな飲み屋が軒を連ねる路地裏にあります。
社殿
こちらが露天神社の社殿です。
旧社殿は太平洋戦争で焼失し、現在の社殿は昭和32年に再建されたものです。
本殿は境内からは少ししか見えませんでした。
右近の橘・左近の桜
社殿の前には京都御所「紫辰殿」の前庭に倣って「右近の橘」と「左近の桜」が植えられています。
「橘」は親・子・孫の果実が同時に実ることから「子孫繁栄・家内安全」の霊木とされています。
水天宮・金刀比羅宮
水天宮は明治天皇が誕生する際にその父である孝明天皇が安産祈願をされた神社です。
もともとは中之島の久留米藩蔵屋敷に祀られていました。
金刀比羅宮は中之島にあった高松藩、丸亀藩の蔵屋敷に祀られていました。
水天宮、金刀比羅宮ともに明治42年の「北の大火」の被災により、露天神社に合祀されました。
ご祭神 | 天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱 |
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主なご利益 | 安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護 |
開運稲荷社
明治42年に発生した大火事「北の大火」により焼失した近隣の稲荷社4社を合祀しました。
ご祭神 | 玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神 |
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主なご利益 | 安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護 |
難波神明社(なにわしんめいしゃ)
ご祭神 | 天照皇大神 豊受姫大神 |
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主なご利益 | 国家安寧 五穀豊穣 |
「夕日の神明社」とも呼ばれ、社殿が東向きの春日出の「朝日の神明社」、南向きの鶴町の「日中の神明社」、西向きだった当社「夕日の神明社」をあわせて『大阪三神明』とも称されました。
さらに東京芝神明宮、京都松原神明宮、同東山神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮と当神明宮をもって『日本七神明』とも言われました。
江戸時代には広大な境内地を持っていましたが、天保5年(1834年)の火災により社殿が焼失、明治42年の「北の大火」でも被災し、翌年、当社に合祀されました。
当社より東に500mほどの旧境内地の一角に碑が建てられています。
御井社・祓戸社(露の井)
四天王寺の「亀の井」や「二ツ井戸」と並び「浪速七名井」のひとつ。
当社の社名の由来にもなったと言われているかつてのこのあたりの貴重な清水。
井泉の神「御井神」、祓いの神「祓戸四柱ノ大神(瀬織津比売神、速開都比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神」を祀っています。
曽根崎心中 ゆかりの碑・慰霊像
「曽根崎心中 お初徳兵衛 ゆかりの地」と刻まれた石碑と、お初と徳兵衛の慰霊像です。
二人のあやかったハート型の良縁祈願の絵馬がたくさん奉納されています。
恋人の聖地
当社は2013年に「恋人の聖地(LOVER’S SANCTUARY)」に認定されています。
神牛舎
天神さんではおなじみの神牛です。
抗ウイルス・抗菌加工済みとのことです。
機関銃掃射痕が残る注連注
社殿前の注連注は大正10年に奉納されたものです。
注連注には太平洋戦争末期の傷跡が生々しく残っています。
米軍戦闘機「マスタングP51」による機関銃の弾痕です。