難波神社

難波神社の基本情報

御堂筋沿いの本町駅と心斎橋駅のちょうど中間あたり、博労町にある神社です。

始まりは5世紀前半頃で非常に長い歴史を持っています。

ご祭神は仁徳天皇と素盞鳴尊で、末社には博労稲荷神社などがあり、江戸時代には船場の商人たちから博労稲荷神社への信仰が厚く、当社自体が稲荷社、稲荷神社などと呼ばれていました。

境内で育てた花菖蒲をお供えする「菖蒲神事」や氷を奉納する「氷室祭」などでは多くの人々で賑わいます。

正式名称難波神社(なんばじんじゃ)
英)Nanba Shrine
通称
所在地〒541-0059
大阪府大阪市中央区博労町4丁目1−3
電話06-6251-8000
参拝時間(開閉門)
社務所・授与所受付時間
公式サイトなどhttps://www.nanba-jinja.or.jp/
創建反正天皇年間
社格等旧府社
系列・信仰など
神社めぐり

由緒・歴史

第18代天皇「反正天皇」が大阪府松原市に都城「丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)」を開かれた際に、父である仁徳天皇を祀るために建立された神社であると伝えられています。

丹比柴籬宮の伝承地は現在「柴籬神社」が鎮座しています。

天慶6年(943年)、第61代天皇「朱雀天皇」の命により大江の坂平野郷(現在の天王寺区上本町あたり)に遷座しました。

さらに慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の命により現在地へと遷座しました。

当地は上難波村と言われており、「上難波宮」や「上難波神社」、「仁徳天皇社」と称していました。

江戸時代には船場の商人たちから末社の博労稲荷いなり神社が厚く信仰され、当社自体を「稲荷社」「稲荷宮」と呼んでいたそうです。

古い資料にも「稲荷有るを知りて、平野有るを知らず」と書かれており、本社よりも稲荷神社の方が知名度があったことが分かります。

明治8年(1875年)に難波神社へと改称し、明治34年(1901年)に府社へ昇格しました。

社殿は1945年の大阪大空襲により焼失しましたが、1974年(昭和49年)7月に再建され現在に至ります。

ご祭神

主祭神:仁徳天皇
配祀神:素盞嗚尊

主なご利益

平穏安寧
厄災除け
諸願成就

主な祭礼、行事

日程行事
2月節分節分祭・玉の緒祭
6月8日菖蒲神事(あやめ祭)
7月20日・21日氷室祭(夏祭)
10月20日例祭・秋祭
11月15日(休日の場合は変更あり)火焚祭
毎月1日及び2月節分湯立神楽

御朱印

あり

行き方・アクセス

電車・バスでの行き方

地下鉄心斎橋駅3番出口より徒歩5分
地下鉄本町駅13番出口より徒歩5分

車での行き方・駐車場

境内に約10台分の無料駐車場あり(18:00まで)

境内の紹介