椋橋総社の基本情報
椋橋総社は、豊中市南部、猪名川と神崎川が交わる庄本地区にある神社です。
かつてこの地には旧猪名川を挟んで、東西椋橋荘と言われる広大な荘園が広がっていました。
(現在の庄内、豊南町、上津島、今在家、尼崎市の戸の内、神埼、額田、高田、園田周辺)
その中央(庄本)にあったのが椋橋総社です。
ちなみに「総社」とはウィキペディアによると、
総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。 多くは令制国の範囲で集めたものを指すが、荘園や郡・郷・村などの地域内のものを集めたものもある。祭神の合祀だけでなく、神社そのものの統合である場合もある。
Wikipedia
西椋橋荘と東椋橋荘内の祭神を集めて祀った神社とのことで椋橋総社と呼ばれていると考えられます。
正式名称 | 椋橋総社(くらはしそうしゃ) 英)Kurahashi Shrine |
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通称・別名 | 鯉の宮 鯉神社 椋橋荘神前松原の社 |
所在地 | 〒561-0835 大阪府豊中市庄本町1丁目2-4 |
電話 | 06-6332-3110 |
参拝時間(開閉門) | 常時開放 |
授与所受付時間 | 日中 |
公式サイト | なし |
神社めぐり | – |
由緒・歴史、主な御利益
創建 | 不詳 |
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ご祭神 | 素戔嗚命 神功皇后 |
旧社格 | – |
主な御利益 | 国土安全、国家安泰、邪悪災厄除け、病気快癒、学問上達 縁結び、商売繁盛、交通安全、安産、子供守護など |
総本社 | – |
椋橋総社はこの地域に広がる荘園の総産土神として古くから祀られていました。
創建は不詳ですが、神代の時代に素盞嗚之尊が高天原より鯉に乗ってこの荘園へご降臨され、崇神天皇7年(紀元前91年)11月、椋橋部連(むらじ)の祖、伊香我色乎命(いかがしこをのみこと)が斎い定め祀ったと伝えられています。
かつては牛頭天王社と呼ばれ、江戸時代には「神田(こうだ)牛頭天王(池田市神田の八坂神社)」、「利倉(とくら)牛頭天王(豊中市利倉の利倉春日神社)」とともに豊島三大牛頭天王と呼ばれていました。
鯉とのつながりが深い神社
椋橋総社は、別名「鯉の宮」「鯉神社」と言われ、境内には鯉池、社殿には鯉塚があるなど、鯉との関連が深い神社です。
上述したように素戔嗚命は高天原より鯉に乗って降臨されました。
境内にはこのときに力尽き亡くなった鯉を埋葬したという鯉塚があります。
また奈良の東大寺の大仏建立で有名な奈良時代の僧「行基」がこの地を訪れ、この地の人々の暮らしを良くするため猪名川に橋を架けようとするも流れが早くうまくいきませんでした。
そのときに椋橋総社に祈願したところ、どこからともなく川が銀色になるほどの鯉が群集し、魚の橋となり無事に架橋が完成したとの言い伝えも残っています。
別の言い伝えでは、行基がこの地を訪れて川を渡ろうとしましたが、氾濫によって橋が流されてしまいました。
そこに鯉が現れ魚の橋となり行基を無事に向こう岸へ渡したとの言い伝えもあります。
近年では鯉を神の使いとしていることから、プロ野球の広島カープファンの聖地として、カープファンが優勝祈願などに訪れているそうです。
椋橋荘神前松原の社
神功皇后が三韓征伐を果たした新羅出兵の前、神々を川辺郡の神前に集めご加護を祈ったとの記述が「摂津風土記」にあります。
神功皇后、諸神祇を川辺郡の内の神前松原に集へて礼福を求め給ひき
摂津風土記
豊島郡誌には「神前松原とはこの地なる由」とあり、神功皇后が祈祷したのは椋橋総社ではないかと言われています。
椋橋総社の境内には「神前松原遺跡の碑」もあり、そのため別名「椋橋荘神前松原の社」とも呼ばれています。
主な祭礼、行事
- 歳旦祭:1月1日
- 恵比寿祭(庄本ゑびす):1月9・10・11日
- 春祭:4月14日
- 夏祭:7月14日
- 例祭(秋季大祭):10月13・14日
秋の大祭では氏子地区(庄本町)の宮之町、仲之町、南之町・嶋之町の3台のふとん太鼓が地区内を巡行し夜に宮入します。
境内には夜店も出店し大変な賑わいをみせます。
御朱印
こちらが椋橋総社の御朱印です。
社務所でお願いすればいただけます。
初穂料は300円でした。
鯉の宮と言われるだけあって鯉の印がかわいいです。
右上には椋橋総社の御祭神である素盞嗚命(牛頭天王)の神紋「木瓜紋」が押されています。
その左上は椋橋総社の社紋でしょうか。
行き方・アクセス
電車・バスでの行き方
電車でのアクセスは良くありません。
もっとも近い最寄り駅は阪急神戸線「神崎川駅」ですが、徒歩で20分以上かかります。
阪急宝塚線「庄内駅」からだと徒歩で30分近くかかります。
のんびり歩くのもいいですがバスの利用をおすすめします。
地下鉄御堂筋線「江坂駅」か、阪急宝塚線「庄内駅」から阪急バスに乗り、バス停「庄本」で下車すれば徒歩4分ほどです。
江坂駅からは阪急バス吹田線24系統(阪急園田行)に乗って「庄本」まで20分くらいです。
庄内駅からも阪急バス吹田線24系統(阪急園田行)に乗り「庄本」まで7分ほどです。
車での行き方・駐車場
府道10号から庄本牛立線152号に入ります。
境内には幼稚園の送迎バスが停まっており、十分に車を停められるスペースもあるので、もしかしたら境内に駐車しても良いのかもしれません。
ちょっと聞きそびれてしまいましたので、車で行かれる方は境内に停めても良いか事前に問い合わせるか、近隣のコインパーキングに駐車してから行きましょう。
摂末社
椋橋総社には三社神社、出世亀菊天満宮、恵比寿神社の3社の境内末社があります。
三社神社
ご祭神 | 住吉大神 春日大神 愛宕山大権現 |
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主なご利益 |
出世亀菊天満宮・恵比寿神社
こちらには出世亀菊天満宮と恵比寿神社が合祀されています。
出世亀菊天満宮 | 恵比寿神社 | |
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ご祭神 | 菅原道真 | 事代主尊 |
主なご利益 | 学業成就 合格祈願 | 商売繁盛 開運 |
承久の乱の発祥地
この地は後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権「北条義時」に対して起こした「承久の乱」の発祥地として知られています。
亀菊はもともとこのあたりの遊女でしたが、後鳥羽上皇の寵愛を受け、後に伊賀局と呼ばれるまでに出世します。
亀菊はこのあたりの荘園(長江荘、倉橋荘)を上皇より与えられましたが、鎌倉幕府が荘園を管理・支配するために設置した「地頭」と対立。
亀菊は後鳥羽上皇に地頭の解任・廃止願いを申し出ます。
後鳥羽上皇は亀菊の申し出を受け、幕府に対して地頭の解任・廃止を要求、幕府がこれを拒否したことにより上皇と幕府の関係は悪化。
その2年後の承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して挙兵。
鎌倉幕府方の武将には朝廷と戦うことに難色を示すものもいましたが、北条政子の演説により奮起。
後鳥羽上皇は承久の乱に破れ、隠岐に流されました。
亀菊は隠岐へ同行したとされています。
後に亀菊が厚く信仰していた天満宮をこの地に勧請し、出世亀菊天満宮として祀られることとなったのです。
稲荷社
椋橋総社が運営している庄本幼稚園の入り口前に稲荷社があります。
ご祭神 | 倉稲魂命 |
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主なご利益 | 五穀豊穣 商売繁盛 |