利倉春日神社

利倉春日神社の基本情報

伊丹空港近くの豊中市西部、利倉一丁目にある春日神社です。

阪神高速11号池田線の真横にあり、真上を伊丹空港へ着陸する飛行機が通るというなかなか騒々しい立地にありながら、神社の中は古い歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気が漂っています。

境内には主祭神である「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」を祀る本殿のほか、淳和天皇皇后(正子内親王)を祀る塚、摂末社である稲荷神社と天満宮などがあります。

利倉1丁目では、毎年10月の第3土曜・日曜に秋祭りが行われ、だんじりや獅子舞が地域を回ります。

正式名称春日神社(かすがじんじゃ)
英)Kasuga Shrine
通称利倉春日神社(とくらかすがじんじゃ)
所在地〒561-0845
大阪府豊中市利倉1丁目3-14
電話06-6862-1713
参拝時間(開閉門)常時開放
授与所受付時間日中
定休日なし
公式サイトなし
神社めぐり

由緒・歴史、主な御利益

創建不詳(1200年以上前)
ご祭神素戔嗚命(スサノオノミコト)
旧社格村社
主な御利益病気平癒
総本社

創建は不詳ですが、少なくとも天長元年(824年)には神社として成立していたと見られます。

というのも、当社の神宮寺であった正法寺が嵯峨天皇の皇女(正子内親王)の懇願により、空海の弟子「智泉」によって開創されたと伝えられているからです。
(春日神社が鎮守社であったとも言われています。)

正子内親王は当社に病気平癒のご祈願をされ難病が平癒、御殿料百石を御寄進されたとも伝えられています。

正法寺は明治の廃仏毀釈によって廃寺となっています。

なぜ春日神社なのに御祭神が春日大神じゃないの?

このあたりには、桜塚の原田神社、庄本の椋橋神社、熊野田の八坂神社など、牛頭天王を祀った神社が多く、江戸時代には「神田(こうだ)牛頭天王(池田市神田の八坂神社)」、「椋橋(くらはし)牛頭天王(豊中市庄本の椋橋神社)」とともに豊島三大牛頭天王と呼ばれていたそうです。

江戸時代には「牛頭天王祠」と称しており、現在の「(利倉)春日神社」の社名になったのは明治元年です。

本来、素戔嗚命(スサノオ)を祀った神社は祇園社や八坂神社、スサノオ神社等の社号になるはずですが、春日神社となっていることを不思議に思う方もいるかもしれません。

平安時代にはこのあたりは利倉庄として摂関家(藤原氏)の荘園が広がっていました。

平安時代後期~鎌倉時代初期には武士が台頭し始め、武力で領地を奪い合う争いが起こり始めました。

武士から所領を守るために神仏の加護を得ることが必要と考えられ、藤原氏の氏神である奈良の春日大社に、このあたり一帯の荘園が寄進されました。

宮司のお話によると、利倉春日神社の本殿には春日大神を祀っていた形跡も見られるとのことですので、この時期には春日大神を勧請して祀っていたと考えられます。

その後、鎌倉時代から室町時代~戦国時代~安土桃山時代の間に、主祭神が春日大神から牛頭天王(後に素戔嗚命)へと変化して(戻って?)いったのではないでしょうか?

明治に入ると神道と仏教を分離させる神仏分離政策が始まり、神仏習合の神「牛頭天王」を社名に用いることはできなくなり、社名の変更を余儀なくされたと思われます。

かつて春日大神を祀っていた名残りから明治時代には春日神社という名称に変更されたと考えられます。

流れを表にすると以下のような感じでしょうか。

時代社号御祭神
平安時代不明不明(スサノオ?)
鎌倉時代春日神社春日大神
江戸時代牛頭天王祠牛頭天王
明治時代春日神社スサノオ

主な祭礼、行事

  • 秋祭(10月の第3土・日曜日)
    初日は獅子舞が奉納され、昼から夜の9時頃まで腸内の工場や新興住宅地などを回ります。
    次の日は朝から獅子舞が古くからの氏子の家を一軒一軒まわり、昼前に神社に帰った獅子舞は神殿に入ります。
    午後からはだんじりが登場し、地域の子どもたちも交えて町内を回ります。
利倉春日神社大祭 本宮 だんじり

御朱印、授与品(お神札・お守り)

こちらが利倉春日神社の御朱印です。

元 牛頭天王社とのはんこもありますね。

御朱印はこちらの社務所でいただけます。

初穂料は300円です。

御札やお守りもおいてあります。

神職さんがいらっしゃらない場合は呼び鈴を押せば出てきてくれます。

行き方・アクセス

電車・バスでの行き方

もっとも近い駅は阪急宝塚線「曽根駅」ですが、利倉春日神社まで徒歩だと20分近くかかります。

阪急曽根駅から阪急バス96系統クリーンランド線に乗り、バス停「原田元町三丁目」で下車すれば、バス停から徒歩7~8分です。

バスの本数も少なく、あまり電車やバスで行きやすい立地ではありません。

車での行き方・駐車場

利倉春日神社には無料駐車場があるので、車で行く方が良いでしょう。

ただし駐車場に入るためには割と狭い鳥居をくぐる必要があるので、大きい車や運転が苦手な人は気をつけましょう。

阪神高速11号池田線の高架下の道を北上していくと、「利倉東2」の信号を超えたあたりに駐車場の入り口があります。

こちらが車でそのまま入れる鳥居です。

軽自動車なら余裕で通れる広さですが、車幅や車高のある車の場合は注意しましょう。

境内の本殿横にある駐車スペースです。

特に区画などはないので適当に空いているところに停める感じです。

参拝レポート(境内の主な施設・見どころの紹介)

利倉春日神社へ実際に参拝してきましたので、境内のご紹介をしつつ参拝レポートをしていきます。

神社の入り口(鳥居・神門など)

鳥居は石造りの明神鳥居です。

両端には立派な「獅子・狛犬」がいます。

鳥居をくぐると100mほどの参道が伸びています。

時々、真上を飛行機が轟音を響かせながらかなりの低空で飛んでいきますが、それ以外では非常に静かで落ち着いた雰囲気の参道です。

縁結びの御神木

参道の途中には「縁結びの御神木」があります。

モチとニレの木が上部で合体していたそうで、縁結びの御神木として崇められていたそうです。

現在はモチの木は折れてしまっているようで、ニレのみになっていました。

手水舎

手水舎の手前にもうひとつ鳥居があります。

こちらも石造りの明神鳥居ですが、こちらには台石がありますね。

こちらが手水舎。

鳥が水を飲みに来てしまうのかしっかりとした金網で蓋をされていました。

拝殿・本殿

こちらが利倉春日神社の拝殿です。

お参りしたのが11月だったので七五三詣の旗がひらめいていました。

天正6年(1578年)に荒木村重が起こした謀反を織田信長が平定する際の兵火によって、社殿は焼失しました。

その後、豊臣家家臣であった池田光重によって、慶長3年(1598年)に再建されました。

正子内親王の墓

社殿の横には、嵯峨天皇(第52代天皇、786~842年)の皇女で、淳和天皇(第53代天皇、786~840年)の皇后であった正子内親王の墓だと言い伝えられている祠があります。

祠の中には梵字を刻んだ丸い自然石を上下に2つ重ねた2輪の塔があります。

都に病気が流行った際に皇后が病気の平癒を当社に祈願し病が収まり、皇后は当社に御殿料百石を寄進したと伝えられています。

当社の神宮寺「正法寺」の建立を懇願されたのも正子内親王だと言われており、都から近いとはいえ、皇后と農村の小さな神社にどのような結びつきがあったのか想像が膨らみます。

摂末社

境内には稲荷神社と天満宮の2社の摂末社があります。

稲荷神社

境内には赤鳥居が特徴的な稲荷大明神が祀られています。

ご祭神稲荷大明神
主なご利益五穀豊穣

天満宮

菅原道真公を祀り、学業成就・合格祈願などで有名な天満宮も勧請され祀られています。

ご祭神菅原道真
主なご利益学業成就・合格祈願

神武天皇の遥拝所

神武天皇といえば、奈良の橿原神宮に祀られている初代天皇ですが、なぜか利倉春日神社に遥拝所の石碑がありました。

砲弾の奉納品

御大典記念として昭和3年に奉納された砲弾がありました。